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zoom RSS テーマ「将棋」のブログ記事

みんなの「将棋」ブログ


ひふみん♪

2017/08/12 11:50
高校生の息子と話していたら「ひふみんってさあ」と。
子供の頃に少し将棋の手ほどきをしたけれど、とくに興味を持たないまま現在に至っている息子の口から「ひふみん」という名前が出るようになるとは、少し前までは思ってもみなかった。

40年以上前から、現在でいう「観る将」をやっていた。
第一回将棋の日には、蔵前国技館に出向いている。
そもそも将棋のことを書く目的で、このブログも始めた。

当時、加藤一二三九段は、訳の分からない人という印象だった。
クリスチャンであることも相まって「求道者」というようなイメージで語られていた。曰く「将棋は真善美」云々。

友人に加藤九段の物真似がうまい男がいて、酒の席でウケていた。
つまりは、茶化していた。
そうやって茶化すことで、加藤九段の存在を世に知らしめたのは、米長邦雄永世棋聖だったと思う。
茶化されても、加藤九段は挑発に乗らなかった(ように見えた)。

20年近く前、名人戦関連のイベントに行った際、加藤九段も登壇して、みごとに進行をぶち壊していた。降壇して行く羽生三冠(当時の肩書は失念)の苦笑いだけが印象に残っている。

世間が加藤九段を面白がり始めた頃、晩年の岡本太郎を思った。
あのポジションを演じられるだけの人物が長いこと不在だったので、メディアは飛びつくだろうと。

久しぶりに将棋の話を書いた。
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離縁状♪

2017/05/18 00:26
このブログは当初『将棋が好きになってから』というタイトルでした。
そこでも触れていますが、
当方は第一回「将棋の日」の催しに国技館へ出向いています。
大野・塚田・大山。中原・米長・内藤…。
そうそうたる顔ぶれが土俵上に並んでいました。
土俵下を忙し気に動く芹沢八段も見つけました。
土俵上で指された十段戦の後、
正規の対局場へ戻る大山・中原を、通路の隅で見ていました。

まあ、そんな頃からの「見る将棋ファン」の夢を、
将棋連盟は見事にぶち壊してくれて、
プロの将棋界に、全く興味を失ってしまいました。

こんなことを殊更に言う必要もないのですが、
気持ちにケリをつけるための離縁状と思ってください。

『聖の青春』のDVDをカミさんが買ってくれました。
別れを決めた気持ちが揺らぐのが怖くて、
まだ見ることができません。
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追悼

2015/10/27 15:02
天野貴元さんが亡くなられたことを知る。
ブログの更新がずっと滞っていたので案じてはいた。
あれこれ悩みを抱えて落ち込むたびに天野さんのことを思い、
俺は何を甘ったれているんだと自分を叱りつけていた。
面識はなかったが、力になっていただいた。
ありがとうございました。合掌。
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升田幸三の孤独

2013/03/05 07:13
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父親が無趣味な人間だったので、幼い頃から将棋や囲碁に関わるものは何も家になかった。就学前の2年余をパキスタンで暮らしていて、娯楽の少ない土地だったのでさまざまなボードゲームで遊んでいたが、盤駒や碁石を見た覚えはない。帰国して編入した小学校でも将棋が流行した記憶はなく、中学・高校と縁のないままに日々を過ごし20代を迎えた頃、山口瞳の文章を通じて将棋界に興味を持つに至った。その当時のことは当ブログ初期の頃に少しばかり書いてある。将棋世界、近代将棋、後に将棋マガジンを読み、大山・中原の戦いに興奮し、『棋士・その世界』を何度も読み返し、芹澤九段の著書を買いあさった。友人たちとヘボ将棋も指した。第一回将棋の日が開催された年は22才、蔵前国技館にいたのが自慢といえば自慢だ。

そういう自分がこの本を読まないわけには行かない。棋士は登場順に升田幸三・塚田正夫・花村元司・灘蓮照・松田茂役・芹澤博文・板谷進・郷田真隆・藤井猛・木村一基・米長邦雄。勝者と敗者しか存在しない世界で、勝ちと負けの間に漂う魑魅魍魎たちを生々しく描いた名著です。
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追悼 米長邦雄永世棋聖

2012/12/21 09:04
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日本将棋連盟会長・米長邦雄永世棋聖が亡くなられた翌日、所用で上京した。立寄り先がたまたま千駄ヶ谷だったので将棋ファンとして個人的に哀悼の意を表したいと思い、故人がここ数年間君臨し続けた将棋連盟まで行って来た。写真は鳩森神社・将棋堂脇の石碑。連盟は普段と全く変わらない様子だった。

その昔、観相学の大家にして将棋を愛した作家・五味康祐が米長永世棋聖を「こんな風に頭の後ろが絶壁になっている骨格の人物は名人になれない」と評したのを覚えている。組織の統率者には顔のデカイ人物が適しているのだ、と。言われてみれば、あの方もあの方も。しかし米長永世棋聖は名人、そして組織の統率者となった。

これも遠い昔の記憶だが、運勢学で名をあげた某女流作家がテレビ番組で故・藤本義一に「残念ながら直木賞は獲れない」と、その将来を占ったのに対して「かつて文学の道でともに切磋琢磨した人がそういうことを言うのは如何なものか」と、強い調子で怒りをあらわにしたのをたまたま見ていた。

運命論的なものへの反撥と後塵を拝すること許し難しという思い。人生はそんな事情で動いてゆくのかもしれない。合掌。
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たまには将棋のことなど

2012/09/15 03:04
そもそもこのブログは将棋のことを書く目的で始めたんだけど、あっという間にネタが尽き身辺雑記でお茶を濁しているうちに震災ですべてがどうでも良くなってしまい、現在に至っている。とは言え今でも観るファンではあるし、将棋に関るブログもまめにチェックしている。さっきまで羽生‐谷川戦を観ていたし。

将棋に関して言えば自分に「見えるもの」は勝負の結果と対局者が何を食べたかくらいで、それ以外はすべて「見えないもの」だ。その「見えない」部分を突き詰めて行くことに意味を求めず、ひたすら心血を注ぐ人たちがいる限り、将棋が好きだ。

才能って嫌だなあ、と思う。なまじ才能があるから、のめりこんでゆき、苦しみを抱える。さらに、才能があってもその世界に生きる適性があるかどうかはまた別だ。しかし、才能を前提にして、適性があろうとなかろうと、思いがそれを凌駕していれば人は必ずその世界で生きられると信じている。そして、その「思い」も「見えないもの」だ。

なんでこんなことを書いているかと言えば、少し酔っているからです。
谷川九段、勝つと思ってたのになあ。
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三寒四温

2011/02/18 04:20
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すでに30年くらい前の話になるが、ある作家に某大出版社から、さる出版企画への参加をお願いしたいので、ついては打ち合わせをしたいとの電話があった。作家はその企画に気乗りがしなかったのでその旨を伝え、打ち合わせについても断った。ところが、その作家の参加を前提に企画はすでに進行しているのでぜひとも承諾していただきたい、と出版社側は言う。企画に関して作家が連絡を受けたのは、その電話が初めてだった。これは明らかに間違っていると判断した作家は、それ以後その話に一切関らないことを決めた。かなり大きな企画だったので、さまざまな人が仲裁…というのではないが、要するに問題解決の仲介に当り、その中には文壇の大御所もいたようだが、作家は決めたことを貫き通した。

出版社には日常的にさまざまな企画が持ち込まれる。そうした企画に乗って、持ち込んだ側を信頼して仕事を進める中で、上記のような事態が起きることも間々ある。将棋世界3月号に掲載されていた某出版社のお詫び広告もそんな結果のものかもしれないが、当事者が当事者だけに気になってしまう。

昨日は暖かい日だった。散歩の途中、いつもの本屋に寄ったら『当該書籍』が棚に並んでいる。パラパラッと内容を見たけれど、全くもって、らしくないものだった。まあ、そりゃそうだ。しかし、こうして売られていれば、経緯を知らない人が今後この本を買うこともあるだろう。釈然としない気持ちだ。

それはそれとして、実情は知らないが、お詫び広告を読む限り何とも浮世離れした経緯で、らしいなあ…と思ったりもしたのだった。
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将棋世界3月号を買った

2011/02/15 15:20
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どなたかがブログで、表紙が地味なので本屋で見つけにくかった、というようなことを書いていらした。たしかに地味ではあるが、モデルの責任ではない。

ざっと目を通しただけだが『とちぎ将棋まつりレポート』を初めとして内容は盛り沢山。将棋と関係ないところでは瀬川晶司四段の「感動の告白」や某出版社の呆れたお詫び広告が目に留まった。飯塚祐紀七段の自選記も、とても良かった。

これからゆっくりと楽しんで読みます。
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奔馬

2011/01/17 15:27
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若手棋士が主催した集まりに参加した際、お土産でいただいたもの。
布盤の裏に奔放な字が躍っている。
早いものであれから10年以上が過ぎた。

身辺多忙で更新が儘ならず。次回は25日頃になります。
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どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?を買った

2010/12/30 02:41
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とは言え、まだ読んでいない。

このところは仕事の合間に将棋関係のブログをチェックするだけで手一杯、自分が育ってきた時代には想像もつかなかった情報量の多さに圧倒されている。もちろん取捨選択して行けばいいのだが、どのブログも面白いのだ。申し訳ないけれど将棋世界もしばらく買っていない。しかし、この本は欲しかった。

ずっと以前に将棋への興味を失っていた時期があった。これといった理由は無くて、まあそんな程度のファンだった訳だが、ある棋士を知るに至って将棋熱が再燃した。それが誰あろう…となれば話は分かりやすいが、実はそうではない。

その棋士の存在を初めて知ったのは、たまたま見たTV東京の早指し将棋新鋭戦だった。盤に向かっていたスティーブ・マリオットのような姿に度肝を抜かれ、さらに大山十五世名人門下であることを知って唖然とした。あのスクエアの塊のような名人のお弟子さんに何でまた、ここまでヒップな棋士が現れたのだろうか…しばらく離れているうちに将棋界は大きく変わったのかもしれない、こりゃ面白そうだ…。そう思って再び将棋世界を読み始めたのだった。そう、行方尚史八段(当時五段)を知らずにいたならば、おそらく自分は今このブログを書いてはいない。付け加えれば、その後、世界誌に連載された自戦解説が、これまた素晴らしかった。

『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』の中で、その行方八段が第68期名人戦第二局について熱く語っていることを知り、これは買わずばなるまいと思っていたのだ。正月にでも、ゆっくり読もう。
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タイトル 日 時
ばれてもともと
ばれてもともと 仕事に疲れた深夜、ぼんやりと書棚を眺めていたら、この本が目についた。手にとって開いたら思いがけず『セリさんの贈り物』というページだった。「セリさん」とは故・芹澤博文九段。親交のあった著者がその死を悼んで書いた文章だ。作家・色川武大は芹澤九段の、おそらくは最後の著書『指しつ刺されつ』にも阿佐田哲也として対談の相手に登場している。観戦記についての対談なのだが、ホストである芹澤九段に対する遠慮が感じられ、どこか話が噛み合っていない。晩年の芹澤九段ゆえ、あれこれと齟齬があったのかもしれない。 ...続きを見る

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2010/12/04 18:13
全部取っちゃえ
遠い昔の話。 棋士を目指して師匠宅で内弟子生活を送っていたA少年。ある日、同じように棋士を目指すB少年がお師匠さんの用事か何かでやって来た。おたがいに修業中の身ではあるが将棋を指している分には雑用を言いつけられない。師匠の許しも出て、しめたとばかりに二人は盤をはさんだ。勝てば50円の真剣勝負。同い年で誕生日も四日しか違わない二人ながら、入門の早いA少年の方がやや分が良い。と、師匠が来て手招きをする。何か怒られるのかと思えば「全部取っちゃえ」と。B少年の所持金をすべて取ってしまえということだ。お... ...続きを見る

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2010/09/20 04:28
バスの中の“くろがね坂口”
横浜の郊外にある実家には高校を卒業した頃から15年ほど住み暮していた。 移り住んだ当時は「横浜のチベット」などと揶揄されていた土地だ。 家の周辺は山菜採りができるような里山で、歩くとあちこちに『鳥獣保護区域』という立て札があった。当時、横浜に引っ越したと人に言うと「港は近いの?」などと聞かれたが、港はおろか横浜駅まで行くにも2時間近くかかるような場所だった。登記上の住所には「字○○」と付いていた。 ...続きを見る

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2010/07/06 02:28
棋士と痛風
畏れ多くも高段棋士の方々を痛風という括りで勝手に語ろうという訳だが、同病相憐れむということでお許しいただければ幸いです。 ...続きを見る

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2010/06/28 17:21
内藤國雄九段と猫
加藤一二三九段と猫の話題が人の口の端に上ることもなくなったが、あのニュースを目にするたびに思い出していたことがある。 ...続きを見る

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2010/06/26 22:22
Leaves that are green
 林葉にかつて言ったことがある。女と将棋を指すな。男と女の将棋は根本的に違う。つまり、男はそれを失敗すれば後がない。女は男に寄りかかって生きてゆける。心に緩みがある。稼業についての思いが違う。  しかし、プロの四、五段程度になることなら、男とだけ“将棋”を指していれば男の将棋になれる。狼の将棋になれる。  羊の将棋から狼の将棋になるのは、狼とだけ戦うよりない。  子供なので意味がわからなかったのか、易きを求めたのか、(中略)羊の将棋になってしまったのは真に可哀想なことである。 ...続きを見る

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2010/05/20 16:24
情念との格闘
前回に引き続いて素人が勝手なことを言います。 ...続きを見る

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2010/05/10 13:34
雑念との格闘
将棋に関しては昔話ばかり書いてきたブログだが、名人戦棋譜速報は見ている。 三浦八段の挑戦には期待していたが、第三局も終ってみれば羽生名人の勝ち。 将棋の内容について踏み込んで書けるような持ち合わせは何もないので素人が勝手なことを言います。ご容赦ください。 ...続きを見る

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2010/05/08 17:12
続・間宮久夢斎六段
続・間宮久夢斎六段 前回の補足。『指しつ刺されつ』は芹沢九段がデイリー・スポーツ紙に連載されていた同名のエッセイを中心にまとめられた著書で昭和62年5月にリイド社より発行された。亡くなられたのが同年の12月だから、最後の著書だろうと思う。将棋界、棋士についての面白エピソード満載で巻末には江國滋氏、阿佐田哲也氏、石堂淑朗氏との対談も収められている。 ...続きを見る

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2010/04/23 01:42
間宮久夢斎六段
人の提灯で明りをとってばかりで恐縮だが将棋ペンクラブログのこの記事を読んで、どうしても紹介したくなった。間宮久夢斎六段の話です。 ...続きを見る

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2010/04/22 09:59
名人戦復帰記念特別棋戦観戦記by山口瞳
昭和28年生まれの自分は『血涙十番勝負』や週刊新潮『男性自身』を読み、作家・山口瞳を通じて将棋や将棋界への興味を深めた世代である。 山口瞳氏の観戦記と言えば剃髪の挑戦が話題を呼んだ昭和53年の第36期名人戦第一局が思い出されるが、それに先がけて行われた毎日新聞への「名人戦復帰記念特別棋戦」の第一回戦第一局でも観戦記を担当されている。 この棋戦は名人および名人戦挑戦者で現役として活躍中の11名によるトーナメント戦で、観戦記を担当したのは、手元に残っているスクラップだけを見ても、登場順に山口瞳・... ...続きを見る

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2010/04/16 09:18
丸ビルを五つ
愛読させていただいている将棋ペンクラブログの、少し前の記事になるが大山・升田のコンピュータ将棋観を読んでいて、以前にも何度か引用させていただいている中平邦彦氏の名著『棋士・その世界』冒頭に書かれた塚田正夫名誉十段のエピソードを思い出した。 ...続きを見る

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2010/04/12 10:04
飛行機が正解
相変わらず昭和50年頃の話。記憶が曖昧なので、ご容赦を。 ...続きを見る

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2010/04/05 19:41
若き日の真部一男九段(2)
3月23日に高輪の仮寓で行われた前局に続いて、故・真部一男九段、当時の真部五段は富沢幹雄八段に勝ち、5月12日、新装なった千駄ヶ谷の将棋会館にて王将戦第一次予選突破を目指し下平幸男八段(当時七段)との対戦に臨んだ。観戦記は倉島竹二郎氏。 ...続きを見る

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2010/03/24 18:25
若き日の真部一男九段
遅ればせながら確定申告書を提出してようやく仕事も一段落。 また少しずつ更新しますので、よろしくお願いします。 ...続きを見る

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2010/03/15 18:25
確定申告(追記あり)
という訳で零細とはいえ個人事業主の自分も何かと気忙しい。棋士の皆さんのブログを拝見していると、ほとんどの方が早めに済ませていらっしゃるようで、頭が下がる。もっともこの時期は順位戦の終盤でもあり、面倒な事に煩わされたくないというのが本当だとは思う。 ...続きを見る

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2010/02/19 15:03
天丼の上
 夕食の注文の時に加藤はノータイムで「わたくしは天ドンの上」と言った。そのキッパリした口調に大内は感心して(?)あざやかなさばきだなァ、と言った。そして「よし、オレも天ドンと行こう」と五分に張り合っていた。 ...続きを見る

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2010/02/10 11:36
有吉道夫九段
 いつかたずねてみようと思いながら、その都度忘れていたのだが、「有吉は元華族である」という話を十年ほど前に聞いた。なるほど、あの顔はどこか変っている。あのすわり方は百人一首の絵にある何々の朝臣(あそん)と同じだぞ。公家のすわり方というのがある。―勝手な想像をめぐらせ、しまいには、ぜひその話が本当であってほしいと思うようになっていた私。 ...続きを見る

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2010/02/06 17:49
升田幸三最後の順位戦(2)
 おそらく―名古屋を出立する前に板谷八段は、こう割り切ったのではないか。  「ようし。ヒゲおやじをオレが引退させてやる」と。 ...続きを見る

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2010/02/05 12:47
升田幸三最後の順位戦
 7二銀を見た升田は「おう」といった。すぐおわかりになる方もあろう。穴グマじゃないのか、という意味である。大内は言葉を返さなかった。 ...続きを見る

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2010/02/02 01:57
木村義雄十四世名人あれこれ
言うまでもなく故・木村義雄十四世名人は木村義徳九段のご尊父であらせられる。昭和61年11月17日、将棋の日に盤寿を全うされ亡くなられた木村名人について語られることも、この頃は少なくなった。 ...続きを見る

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2010/01/31 03:25
恐ろしい話
平成3年に引退された木村義徳九段は昭和55年にB級1組より昇級昇段、その年の「将棋大賞」殊勲賞に輝いているが、A級入りを前にした順位戦で連勝を続けていた頃、練習将棋の相手だった奨励会のS三段には連敗を続けていたそうだ。著書『ボクは陽気な負け犬』の中にその経緯を含めて「三割ほどキミのおかげで八段になれた」とS三段に言ってある、と書かれている。勝負の世界、そんなこともあるのだろう。 ...続きを見る

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2010/01/30 02:27
二十八万円
20年ほど前、将棋マガジンだと思うが『思い出のアルバム』というようなページがあった。2000年に引退された木下晃七段が、学生服姿の青木清六段と桐山清澄九段の肩を抱くようにして、北畠にあった将棋連盟の旧関西本部の玄関前に並んで立っている写真を見た記憶がある。たしか木下七段が塾生を辞める日に撮られたというような説明があった。おそらくは塾生の引継ぎだったのだろう。というのも、将棋百話にある「桐山少年の逸話」によれば桐山九段は15歳から18歳まで塾生を務められていたのだそうだ。写真の桐山九段は15歳くら... ...続きを見る

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2010/01/28 02:19
将棋百話
作家にして愛棋家の故・藤沢桓夫氏著『将棋百話』からの話。 ...続きを見る

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2010/01/27 12:19
名人戦名局集その2
 初めてお目にかかった所は大阪の住吉神社の社務所だった。アマ名人戦西日本大会の控室である。木見先生が「今度弟子にとった子だが、まだ半で勝てない」と、大山九段に引き合わせてくださった。半とは飛香落ちのこと。当時二十六歳くらいで九段戦のタイトル保持者だった大山さんは、今の姿からは想像もつかないほどにキャシャな感じだった。微笑して「そう。早く強くなってくださいネ」といわれたのをハッキリ覚えている。この人の弟弟子になれる!十六歳のボンボンは、この道の険しさを知らず、後に奨励会を受験する段になって、アマと... ...続きを見る

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2010/01/26 14:56
名人戦名局集
 初めての対面の日は記憶があいまいだが、たぶん、奨励会に入会してから、対局の記録係を務めた時だったと思う。身のすくむような眼光で「誰の弟子だ?なに?梶八段?」フッフッフッと笑われたように覚えている。木見門下(すなわち升田さんと同門)になり損なった奴だとはご存知なかったと思う。ある対局の時、駒がよく磨いてあるのを「今日の記録係は精神状態がよろしい」とほめられ、仏法僧記者が観戦記に書いてくれたことがあった。うれしい思い出である。 ...続きを見る

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2010/01/22 18:17
悪かった、悪かった
 長老の市川七段が観戦。「トシだねえ、筋違えちゃって。イテテテ」といいながら盤側にすわり込む。と、米長が顔を上げて「年寄りがイテテイテテとすわり込み。芭蕉」と一句(?)呈上する。内藤がワザとそっぽを向いて「くだらん」とけなした。  「ああくだらん…休憩にしてください」と米長。午後六時を過ぎ、あと数分で夕食休みなのだった。両者、席を離れる。 ...続きを見る

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2010/01/14 09:23
他人の空似
若い頃に新大久保駅のホームで電車を待っていたら見知らぬ男性がいきなり自分の前に顔を突き出し両手の親指を耳に当て手をパタパタさせながら「ベロベロバ〜」と言った。一瞬怯んだけれど悪意は無さそうだったので怪訝な顔をしていたら、数秒の空白の後に「あっ!」と叫んであっちに行ってしまった。おそらく人違いだったのだろう。 ...続きを見る

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2010/01/11 05:05
賭け将棋
仕事の合間に古い新聞観戦記の切抜きを眺めていて、こんな記事を見つけた。 昭和50年度A級順位戦、升田九段と板谷進八段(当時)、初手合いの一局、第一譜より。観戦記は「紅」こと東公平氏である。 ...続きを見る

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2009/12/31 03:55
第一回『将棋の日』追記
蔵前国技館で盛大に催された第一回『将棋の日』、土俵上での公開対局は中原誠十段に大山康晴棋聖が挑戦した第14期十段戦七番勝負の第二局だった。当時の新聞観戦記によれば11月17日午前9時に羽澤ガーデンで始められた対局は午後2時に中原十段の手番で指し掛けとなり、遅い昼食の後に国技館へと移動。移動に要した時間60分はそれぞれ二日目の消費時間に加算されたとのこと。かなり変則的な流れである。しかもタイトル戦だ。 ...続きを見る

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2009/12/29 06:03
八割の力
愛読させていただいているものぐさ将棋観戦ブログに梅田望夫氏による『金子金五郎の加藤一二三分析』の記事が紹介されていた。早速そちらを読んでいて、内藤國雄九段がお書きになっていた若き日の加藤一二三九段のエピソードを思い出した。 ...続きを見る

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2009/12/24 10:01
マーブルガーデン追記
古い近代将棋を眺めていて昭和49年頃、大友昇八段は練馬に将棋道場を開かれていたことを知りました。同誌の昭和49年1月号に掲載されている『棋士の住所』によれば当時の森雞二六段は練馬にお住まいです。将棋ファンとしては、修業時代の森九段がマーブルガーデン辺りの無頼な空気の中で自らを鍛え上げられていったと思いたいところですが、おそらくはお若い時から練馬の道場に通われていたのでしょう。 ...続きを見る

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2009/12/23 14:32
機関銃小僧
五反田の次は蒲田の話。高校が近かったので蒲田ではよく遊んだ。友達も多く住んでいたし居心地の良さが忘れられず、後年になって梅屋敷にアパートを借りて暮らしたこともある。 将棋好きの仲間の一人が蒲田の外れに住んでいた。20歳を少し過ぎた頃、家業を継ぐかどうか悩んでいた彼と能天気に生きていた自分は何故かウマが合って、よくつるんで飲み歩いたりしていた。仲間内で彼だけは将棋がきちんと強く、ときどき教えてもらったが一度も勝てた記憶がない。 大酒を飲んだ週末、たいていは彼の家に泊めてもらった。音楽を聴いたり... ...続きを見る

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2009/12/22 20:37
マーブルガーデンその3
昭和46年頃の五反田駅東口をミカン屋から眺めれば正面にはモデルン洋菓子店、その奥に[グリルエフ]という、いかにも名店らしい洋食屋。歩道橋を上って右手には東急ストアと池上線五反田駅、まっすぐ行くとネオンきらめく『有楽街』の入り口でキャバレーやバー、旅館がひしめき合い、その向こうの島津山には女子大があり、駅左手には池田山の高級住宅街が広がるという訳のわからない街ではあった。 ...続きを見る

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2009/12/18 12:56
マーブルガーデンその2
五反田は現在でも男が遊ぶ場所の多い街だが、40年近く前は『五反田三業地』というネオンが灯るアーチの架った通りもあったりして、18、9のガキには得体の知れない土地だった。マーブルガーデン、その実『ヘルス東京』は西口の線路脇にあった。そういった店の経験が無かった自分は、いきなりそこの従業員休憩室にお邪魔してしまったのだ。 ...続きを見る

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2009/12/17 03:33
マーブルガーデン
10代も終り頃の冬場、山手線五反田駅東口前の果物屋でアルバイトをしていた。 果物屋と言っても当時の鉄道弘済会売店を借り受けた屋台のような店で、数人いたバイト仲間同士では「ミカン屋」と呼んでいたように、売れるのは量り売りのミカンばかりだった。つまりはミカンの季節だけ忙しくなるのでアルバイトを雇っていたという訳だろう。棚には一応メロンの箱が置いてあり、3000円とか値札がついているのだが中身は空で、ごく稀に「あのメロンを…」と言うお客さんには「すいません、たった今売れちゃいまして」と答えるようにと... ...続きを見る

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2009/12/16 09:27
とり急ぎ御礼
こちらのブログにコメントしたご縁で、望外の紹介記事を書いていただきました。 おかげさまでたくさんの方に読んでいただいております。ありがとうございます。 ご覧のとおりのへなちょこブログですが、これからもよろしくお願い申し上げます。 ...続きを見る

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2009/12/15 10:30
羽生善治 考える力
羽生善治 考える力 暮らしもようやく落ち着いてきて、買っておいた雑誌や本をぼちぼち読んでいる。この別冊宝島、裏表紙がまるっきり選挙ポスターで笑ってしまった。 ...続きを見る

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2009/12/11 02:18
将棋の日C
第一回「将棋の日」について書き始めてはみたものの、34年前のこととは言えほとんど何も覚えていない自分に呆れ果てて、あれこれと資料を探してみた。見つけたのが田中寅彦九段著『将棋界の真相』(河出書房新社刊・2004年発行)。長らく観戦記者を続けられていた故・田辺忠幸氏との対談が収録されていて、第一回将棋の日について短く触れられている。 ...続きを見る

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2009/11/24 12:36
将棋の日B
土俵上に羽織袴姿の現役九段陣がずらりと並んだ。 棋界最高段位者の紹介ということだったと思う。 お姿がなかったのは升田九段だけではなかったか。 司会者はどなただったか、細かいことは全く覚えていないが 司会「昭和29年に棋界初の永世九段となられた塚田将棋連盟会長です」 塚田「えー…。…。」と、そんなふうに進んでいった。 加藤一二三九段のときに 司会「加藤先生は休日などはどのようにお過ごしですか?」 加藤「えー、そうですね、ま、読書をしましたり」 司会「どんなご本を読まれるんでしょう... ...続きを見る

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2009/11/20 13:59
将棋の日A
昭和50年当時、将棋に関わる大きなイベントと言えばデパートの将棋祭りくらいだったと思う。それだけに「将棋の日」の催しが蔵前国技館で行なわれると知った時は興奮して「影水の駒」の友人たちと、すぐに行くことを決めた。 まずハコに魅かれた。何てったって国技館である。スケールがでっかいし「将棋は国技」という強烈なアピールを感じさせて頼もしい気がした。何よりも将棋ファンとして嬉しかった。 もちろん内容にも魅かれた。当日行なわれている大山・中原の十段戦をそのまま持って来るという。国技館の土俵の上でのタイト... ...続きを見る

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2009/11/19 03:41
将棋の日
仕事机の引き出しの中に写真の小さな袋がある。 「将棋の日」十一月十七日 制定記念 社団法人 日本将棋連盟 と書いてあり、中には一枚の紙とボールペンが入っている。 「将棋の日」11月17日  この度、日本将棋連盟は、毎年11月17日を「将棋の日」と制定いたしました。  この日は、江戸時代、江戸城の御黒書院で幕府の年中行事の一つとして、おごそかに御城将棋を催しました。  将棋界にとってまことに意義深い日であります。この日を末永く将棋ファンの祝日として、隆盛に導きたいと存じます。  社団法... ...続きを見る

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2009/11/17 01:33
扇子がないから
 現在の将棋会館での対局は今日が最後という話だった。次の升田・米長戦の通知には「高輪」と書いてある。計画どおりにはこべば、一年後に、地上五階地下一階の新会館ができてまた千駄ヶ谷へ戻ってくるのだが、やはり過去を思って、見納めか…という感慨はあった。部屋にカヤとかイチョウとか将棋にゆかりの木の名をつけたのは私の案で、別案に金将の間、銀将の間とするのもあったことなどを思い出す。 ...続きを見る

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2009/11/13 08:13
階段を上る芹沢九段
20代後半の頃だったと思う。横浜の郊外から渋谷へと向かう電車に乗っていた。 川を渡って都内に入ると、電車も地下に入る。入ってすぐの駅で乗って来た人達の中から、聞き覚えのある声が響いてきた。見れば芹沢九段で、奥様もご一緒だった。ご夫妻でちょっとしたお出かけというご様子だったが、混んだ電車の中、お二人の辺りだけがパーッと明るく輝いているように見えた。 ...続きを見る

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2009/11/01 10:34
姫松園
10代最後の頃の短い時期、大阪に住み暮したことがある。南海電鉄高野線の帝塚山駅から歩いて10分程、住所は住吉区万代東だったか。万代池や住吉神社に程近い、静かな住宅街だった。 道を隔てた真向かいに古色蒼然とした大きな木造アパートがあった。それが『姫松園』。当時「雰囲気のある建物だなあ」とは思っていたが、伝説的なアパートだったことをかなり後になって知った。 ...続きを見る

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2009/10/30 10:22
海苔弁
小学校は完全給食だが、一ヶ月に一度くらいお弁当の日がある。 妻は一応「何がいい?」と聞くのだが、子供のリクエストは必ず「海苔弁!」 ...続きを見る

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2009/10/26 08:55
近代将棋昭和49年1月号
愛読している将棋ペンクラブログのこの記事を見て、思い出した。 近代将棋誌のタイトルの号、以前にも取り上げた駒とハンドバッグから。 ...続きを見る

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2009/10/20 00:51
高輪へ
前回の続き。駄目で元々と将棋連盟に電話をして快諾をいただいた我らは、駒を持って高輪へと向かった。旧日本棋院を借り受けたという仮事務所は、昔の小学校というか銭湯というか、そんな感じの構えだった…ような気がするが、35年前の事ゆえ記憶はすでに曖昧だ。 玄関先で来意を告げると、女性の方が優しく招き入れて下さり「ちょっと待っててね」という感じで奥に消えた。おそらくは奨励会会員であろう少年たちが辺りを行ったり来たりしていて、学校に来ているような心持ち。 やがて先ほどの女性が一人の男性を伴い戻って来られ... ...続きを見る

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2009/10/17 07:56
影水の駒
将棋が好きになった昭和50年頃の話。 同じようにファンになった高校時代の友人が数人いたのだが、その中の一人が自宅近所のどうでもいいような古道具屋で、ひと目良さそうな将棋の駒を見つけた。見せてもらうと、何と『影水』の銘が。 「これは預かり物だから売れない」と言う店主は、その駒の価値を全くもって解っていないようだった。 何度か通ううち、そんなに欲しいのなら売ってもいいという気配になって来たので、いくらなら売るかと聞けば「七千円なら」と。 35年前にしても考えられない馬鹿な値段だ。友人はすぐに... ...続きを見る

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2009/10/14 00:14
こまおと
ここにも書いたが、昭和51年、第26期王将戦当時の毎日新聞観戦記には『こまおと』という小コラムがある。51年というのは現在の将棋会館が落成した年なので、その関係の話題が多い。たとえば、 ...続きを見る

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2009/10/12 00:23
堅い焼きそば
以前にも書いた昭和50年前後の新聞観戦記のスクラップを読み返している。 愛読している将棋ペンクラブログの『タイトル戦昼食予想』が好きだ。棋譜だけではどちらかが投了するまで形勢が解らない自分のようなファンは、勝負を争っている人たちのそうした部分に触れるのが、申し訳ないけれど面白くてたまらない。 ちなみに本日のタイトルは第22期A級順位戦升田・大山戦第二譜の見出し、観戦記は『紅』こと東公平氏。 塾生の注文取りに「そうね…堅い焼きそばにしよう」と大山名人が答える。 なるほど受けの達人は食事も堅... ...続きを見る

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2009/10/09 23:49
さて、どなたでしょう?
いい男ですねー。なお写真は近代将棋の昭和49年1月号から拝借しました。 ...続きを見る

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2009/10/07 00:31
中原十六世名人とネコ
七月二十三日(火曜日)雨  今日は一日中雨がふったので外で遊ばれないから静かに勉強をしました。お昼ごろ山村君が「まんがの本見せねか」といって来たので、ぼくは「見せっから」といって、『おもしろブック』と『こてんぐ大助』を見せました。山村君もぼくに『ガリバーのぼうけん』と『岩見重太郎』というのを見せました。お昼ごはんを食べてから昼ねをしました。ねこのチビをだいてねました。チビはふとんの中でかっざいたりするのでとてもおもしろい。のどをゲロゲロならしたりします。 ...続きを見る

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2009/10/04 12:12
みろく庵
先月末に短い上京、千駄ヶ谷で仕事をしてからスタッフと[みろく庵]へ。 仕事先とは20年近いお付き合い。したがって、みろく庵とのお付き合いも長い。 鍋焼きうどんを出前で取ったりしたこともある(って威張るほどのことじゃない)。 若い頃は仕事が終われば大抵みろく庵か隣り合わせの居酒屋で飲んでいた。 何しろ歩いて2分もかからない距離だ。どちらを選ぶかはその時の気分だが、 「静」の時はみろく庵で、「動」の時は居酒屋という感じだろうか。 みろく庵の目配りが行き届きながら出しゃばらない接客はいつも... ...続きを見る

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2009/10/03 01:12
地下鉄の屈伸戦法
現在の将棋会館を建設していた昭和50年から51年頃、将棋連盟は高輪の仮住居に移転して、対局もそこで行なわれていた。余談だが、自分が初めて連盟を訪れたのも、その高輪時代だ。故・高田丈資七段が親切に応対してくださったが、これはまた別の話になるので後日に。 当時の連盟へ行くには都営地下鉄浅草線・高輪台が最寄り駅だったのではないかと思う。ある朝、たまたま私鉄からの乗換駅で高輪台方面の電車を待っていると、並んだ列の間をじりじりと動いている人物が目についた。古びたショルダーバッグを肩にかけ紺色の靴を履いた... ...続きを見る

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2009/09/23 04:19
よく生きてやがったな
中原が大山の挑戦を受けてフルセットで防衛を果たした第33期名人戦をきっかけに観るだけの将棋ファンとなった自分だが、情報や媒体の少ない時代ゆえに新聞の観戦記を熟読していたし、その頃のスクラップも残っている。 最初のスクラップ帳は前記名人戦第六局の第四譜という中途半端なところから始まっている。よく覚えていないが唐突に思い立ったのだろう。 いま読み返すと「ああ、いいものを読んでいたんだな」としみじみ思う。 ...続きを見る

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2009/09/14 09:15
「棋士・その世界」に登場する鰻
ブログのネタに、う〜と難儀した挙句、またも鰻の話。 中平邦彦著「棋士・その世界」には将棋界とそこに生きる棋士群像が、さまざまなエピソードや言行録を交えながら生きいきと描かれている。さらに19人の棋士が個別の章立てで紹介されていて、巻末には「将棋百科」という章もあり、まさに至れり尽くせりの名著。今回はその中に出て来る鰻話で、( )内は自分が付け足しました。 ...続きを見る

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2009/09/10 00:47
女流チャンピオン参上!
昭和48年から49年にかけて近代将棋に連載されていた、アマチュア時代の関根紀代子・現女流五段が男性アマ強豪と戦う人気企画。前に紹介させていただいた49年8月号で、勝って十人抜きを果たされているという強さだ。 その対局は大山名人のご自宅で名人所蔵の盤駒を使って行なわれている。関根茂九段の奥様と、名人に縁のある方の対戦ゆえの事だろうが、何となくおおらかな時代の空気を感じてしまう。 観戦記はサンケイ新聞の梶川真治氏。その結びの見出しが「くたばれ紀代子さん」。黄金期のヤンキースに匹敵する圧倒的な強さ... ...続きを見る

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2009/09/06 02:03
駒とハンドバッグ
長田(おさだ)芳恵さんというお名前を懐かしく思い出される方がいらっしゃると思う。毎週日曜日に「早指し将棋でひとときをお楽しみください」と始まった『早指し将棋選手権戦』、昭和50年前後は記録と読み上げを長田芳恵さん、前田真理子さんという二人の女性が務められていた。将棋ファンになりたての自分は、こういうのは女性の役目なんだろうなと思って見ていたが、これはひとえに、NHK杯の読み上げを長く務められた蛸島彰子女流五段の功績だろう。 近代将棋の昭和49年8月号には『駒とハンドバッグ』という、将棋に関りの... ...続きを見る

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2009/09/04 04:13
近代将棋昭和49年8月号
上京のついでに親戚に預けてある古い将棋雑誌を何冊か持ち帰って来た。これから折にふれて面白い記事等を紹介させていただこうと思い、タイトルの号をぱらぱらとめくっていると版元が出した「棋士・その世界」の広告が載っていた。自分はまさにこの広告を見て買ったのだが、かなり凄いんですね、これが。 ...続きを見る

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2009/09/03 14:53
葉っぱの裏のゴミ
前回の記事を書いていて、石垣純二氏と芹沢九段の対談を思い出した。 以下は記憶です。細かいところに違いがあればご容赦を。 ...続きを見る

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2009/08/26 08:52
羽澤ガーデンのネコ
「棋士・その世界」単行本の序文は医事評論家の石垣純二氏が書かれている。 亡くなられてすでに30年、ご存知ない方もいると思うが、さまざまなメディアで いわゆるコメンテーターとして、歯に衣着せない発言で活躍されていた。 「常識のウソ」というベストセラーもお持ちの著名人は大変な将棋ファンでもあり、 プロとの二枚落ちしか指さないことでも知られていた。 ...続きを見る

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2009/08/26 05:18
棋士・その世界
将棋が好きになってからは将棋世界と近代将棋を買うようになった。 昭和40年代後期。20代の中原名人が大活躍していた頃。 PCもないしインターネットなんて言葉すら知らない頃。 携帯電話もないし公衆電話はダイアル式の頃。 LPレコードを買ってカセットテープにダビングして聴いてた頃。 活字だけが情報源だったから、広告にいたるまで熱心に読んでいた。 そして「棋士・その世界/中平邦彦」という本を知った。すぐに買った。 めちゃめちゃ面白かった。いま読み返しても、面白い。 ...続きを見る

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2009/08/25 02:53
初めに♪
将棋とは無縁に育ち、高校生になるまで駒の動きさえ知らなかった。 遊びに行った友人の家に彼の祖父手作りの、桝目さえはっきりしない 廊下のように汚れた将棋盤と文房具屋で買った粗末な駒があった。 盤の3五あたりに折れ釘が残っていて、駒を打つとグサッと刺さった。 友人の手ほどきで指すうちに面白くなってきて本など買って勉強したが、 ちっとも強くならなかった。ああ俺には才能が無かったと、指すことに 興味を失った代わりに、才能ある人たちに興味を持った。 それから数十年、現在に至るという訳で、よろ... ...続きを見る

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2009/08/23 01:12

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親子3人ネコ1匹 将棋のテーマ/BIGLOBEウェブリブログ
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